❊私がピアノの先生になるまで❊







【幼少期】
小さい頃は非常に人見知りで
バレエの体験レッスンに行ったものの
号泣してレッスンにならず、、。
近所のピアノ教室へ通い始めました。

【小学生】
ピアノがとっても大好きで、暇さえあれば
近所の楽器店へ行き楽譜を漁り
目に入った楽譜を購入し、絶対弾けないでしょ〜!というような曲も無理矢理読んで弾いてみる
おかげさまで初見力がつきました。
合唱団への入団を機に、伴奏大好き娘に。
ほぼ歌わず伴奏ばかりの団員でした。
この頃からピアノの先生の勧めで、
1レベル上の音大予備校へ入学しました。

【中学生】
合唱が全国レベルで強い中学だったため
朝から晩まで部活部活部活。
伴奏と歌の練習に追われ、ピアノの先生には
毎日部活を辞めろと言われ続けていました。
めげずに部活を続け、3年で全国大会で金を取りました!(わーい!)
この部活のおかげで、ソルフェージュ力も抜群につきました。
たまたま新聞で見た、県内に唯一の音楽科のある高校に惹かれ、迷わず受験を決めました。
しかし、ピアノの先生には大反対されました。
なぜなら、この先音楽の道以外の選択肢がなくなるから。そんなに気にすることもなく、先生の反対を押し切り受験に踏み切りました。

【高校生】
念願の音楽高校。小学生の時からソルフェージュを別でレッスンしていたので、受験も日々の授業も苦なく、常に1番上のクラスにいられました。
問題は実技。
今まで周りの人達から上手だね〜!と褒めちぎられていたのですが、基礎がゼロ!と超スーパー厳しい先生にポキっと鼻をへし折られ、みっちり3年間しごかれました。笑
どんなに練習しても
時には楽譜を廊下に投げ捨てられ
レッスン開始5分で帰れと言われ
よく廊下で泣いていました(涙)
そんな厳しい師匠のおかげで演奏会やマスタークラスに選抜され、大学は特待生として入学が決まり、学費が数割免除になりました。

【大学生】
大学の師匠には高校3年の春から月1で通い、長野→東京の往復をしていました。(受験生あるあるです)
たまたま誘われたオペラ研究会でオペラの魅力にどっぷりつかり、たくさん弾かせてもらいました。ピアノ科なのに声楽科の友達もたくさんできました。
スランプもたくさんありましたが、友達や先生に恵まれ充実した4年間を過ごしました。
卒業間近で母校の音楽教室の講師として採用していただき、震災の年に卒業しました。

【現在】
母校の音楽教室で9年間リトミックを教え
みずさわピアノ教室を開講しました。
大学時代の経験を活かし、オペラ公演やアンサンブルの演奏会にも携わっています。
5歳から始めた習い事が、まさか職業に繋がるなんて当時は思ってもいませんでしたが、子供には無限の可能性がある事を実感しました。

現在は主人と1歳の息子、柴犬とろろ♂と楽しく生活しています♪




講師プロフィール

平林梨沙(旧:水澤梨沙)

長野県小諸高等学校音楽科を経て昭和音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ指導者コース卒業。
大学を給費生として入学し、在学中に横山幸雄、Sergio Perticaroli氏の特別レッスンを受講。
第8回北信越ピアノオーディションSpecial部門において準グランプリ受賞(1位なし)。及び長野県教育委員会教育長賞受賞。同受賞者記念コンサートに出演。
ダルクローズ国際免許取得のためstudio jaque、リズムの森にてダルクローズリトミックを学び、幼児音楽教育にも力を入れている。
ピアノを大森晶子、林眞砂子各氏に師事。
即興演奏を馬淵明彦、大城依子各氏に師事。
現在は県内外での演奏活動や、コンクール審査員、子役タレントの能力開発、リトミック講師、ピアノ講師として後進の指導にあたる。



みずさわピアノ教室代表
元 昭和音楽大学附属音楽・バレエ教室 講師
元 芸能学院テアトルアカデミー 赤ちゃんモデル部能力開発講師


全日本ピアノ指導者協会 指導会員
知育レクリエーションインストラクター資格取得

powered by crayon(クレヨン)